サンビックが紡ぐ、物語。

プラスチックのシート・フィルム成形メーカーとしてサンビックが手がけてきた、
数々の取り組み。その一つひとつに込められた想いと工夫、
努力と挑戦の数だけ、ストーリーがあります。

SANVIC STORY-01

DNA of SANVIC

創業者のルーツ・古川春英の足跡

サンビックのルーツを辿ると、創業者・増田省三の祖父で会津藩医だった古川春英(1828-1870)にまで遡ることができます。
1828(文政11)年、陸奥国河沼郡駒板村(現・福島県河沼郡河東町)の農家に生まれた春英は、12歳の頃に医師になることを決意し、会津若松で漢方を学びました。しかし、それで満足せず、会津藩脱藩というリスクを犯してまで、大坂の緒方洪庵のもとへ赴き、蘭学と蘭方を修得しました。
1857(安政4)年、会津藩に蘭学所が開設されたことを知ると、すぐさま会津へ戻り、帰藩を許されると、蘭学の教官となり、自らが修得した知識・技術を教え伝えるため、教鞭をとります。しかし医学が日進月歩する中、さらなる研鑽の必要性を感じた春英は、1860(万延1)年、再び緒方洪庵のもとで学ぶ道を選びます。さらに1864(元治1)年、37歳の時には長崎へ渡り、オランダ人医師ボードウィンに師事して西洋医学を本格的に学びます。1868(慶応4)年、日本を二分する内乱・戊辰戦争が勃発すると急遽、会津へ戻り、戦傷者の治療に献身的に尽くし、多くの命を救ったといいます。

  • 創業者・増田省三
  • 古川春英 墓所
  • 1972年、1974年 入社案内

DNAに刻まれた、医療への想い

先人・春英が抱いた医療に対する献身的な行動とその想いは、そのまま今のサンビックにDNAとして受け継がれ、長年の夢だった医薬分野のPTP包装用シート「KS PACK」の開発へとつながっていきます。
新しい技術への飽くなき探求、そして、人の役に立ちたいという想い。サンビックは、先人から受け継いだDNAを胸に、プラスチックのシート・フィルム成形メーカーとして、技術と献身によって広く社会への貢献をめざしています。

  • KS PACK

SANVIC STORY-02

Idea of SANVIC

相反する機能を両立させる工夫

サンビックの技術から生まれたものの一つに、養生テープ用の基材シートがあります。養生テープとは、引越や新築の際に床や柱の保護を目的として使われるテープですが、ハサミやカッターを使わなくても、手でスムーズにカットできる手切れ性が特長となっています。
この特性を実現するため、特殊なエンボス技術(シート表面に凹凸を付ける技術)によって、使用する際にテープが切れやすくなるような工夫を施しています。しかし、この手切れ性は、テープを使う際のお客様にとっての使いやすさとは相反して、テープを製造する工程においては、作りにくくなりかねない特性でもあるのです。その理由は、テープを製造する際の、シート基材に糊を塗る工程にあります。この工程でシート基材が引っ張られて切れてしまうと、大幅な時間ロスを生じてしまいます。つまり、テープを使用するお客様に対しては手切れ性の良さが求められますが、製造時の糊の塗工工程では切れにくいシートであることが求められるわけです。
この相反する課題に対して、私たちは得意とする“エンボス技術”とオレフィン樹脂に対する“配合技術”を工夫することで挑みました。テープを使用する際のお客様に対しては、爪などでテープに切るきっかけをつくると、そこからスパッと切れるようなエンボスを工夫。一方、糊の塗工工程には、糊がついたシートを加熱して乾かす工程がありますが、加熱されたシートは柔らかくなり、その状態引っ張られると切れやすくなってしまいます。そこで、私たちは、オレフィン樹脂の配合技術によってシートが加熱されても柔らかくなりにくくすることで、糊を乾燥する際のシートの切れやすさを克服することに成功したのです。

さまざまなお客様のニーズに技術で応える

このようにサンビックは、お客様のさまざまな要求や課題に応えながら、それを克服していくことで、独自の技術に磨きをかけてきました。こうした技術と経験の蓄積が、サンビックの財産になっています。
サンビック製品は、一般のお客様の手に直接触れるようなものではありません。製品にさまざまな「後加工」を施した後、市場に出ていく“半製品”がほとんど。それゆえ、私たちサンビックにとっての“お客様”とは、最終製品を使用するお客様のみならず、サンビックの製造したシートに後加工を施される加工メーカーの方もお客様なのです。こうしたさまざまなお客様のニーズにお応えできるよう、常に真摯に耳を傾けながら、日々技術の研鑽に努めています。

  • 養生テープ